雑記帳

http://www.fine.lett.hiroshima-u.ac.jp/000721/eguchi1.html

キルケゴールのメディア批判と著作活動

第21回FINE広島研究会 2000年7月21日 京都女子大学現代社会学部 eguchi@kyoto-wu.ac.jp 江口聡

なぜキェルケゴールのメディア批判に注目するか?

キルケゴールの青年時代は産業革命と自由主義運動の時代であり、また、 イエロージャーナリズムの黎明期であった。特に「言論の自由」問題 が知識人の関心の的となっていた。 初期のジャーナリズム・大衆社会の(哲学的)批判者としてのキェルケゴー ルはいまだに一定の影響力を持っており(Hubert Dreyfus など「情報化」に懐疑的な論者によるキルケゴールを援用した情報化社会批判な ど)、思索を追ってみる価値はある。 キルケゴールには社会的視点が欠けていたという1960年代からの批判 (Luis Mackeyなどが有名) の検討。

キェルケゴールと大衆メディア

なぜSKにとって大衆メディアが重要だったのか? キルケゴール晩年時代のコペンハーゲンの人口は15万人と言われており(現在は 80万人) 、新聞(定期刊行物)発行数は1日3万部に届かなかった。これに対して、 キェルケゴールは某大な日誌(その一部だけで240p超)を残している。

SKの青年期における新聞の政治化と彼の保守的傾向 コルサー紙との格闘 思想の先鋭化による単独者と群衆の対比の必要

デンマークの政治・経済的状況

1814 ナポレオンと結んだデンマークはスエーデン・イギリスに大敗北。 ノルウェー喪失。人口240万から150万に減少 1818前後に経済危機。→政府批判。20年代の政治運動。宗教改革運動。 1930 経済情勢の好転。パリの7月革命→ヨーロッパ各国への影響 1834 国王の諮問機関として地方議会の設立(指令は31年)→制度の不備への批判から政 治運動の活発化

デンマークでの新聞の隆盛と政治化

19世紀初期 市民ための情報誌 1834- 新聞上での政治論争勃発 多数の新聞雑誌の創刊 ⇔ 政治運動の隆盛 保守的・資産階級のキェルケゴールは恐怖

言論の自由問題 1799「言論出版の自由に関する規定」国王の検閲権、匿名記事の禁止、 新聞雑誌の事前検閲 1834 『祖国』編集者の大学教授が公職追放。国王は警察権導入を検討。 1935 国王発言「国民と国家にとっての真の利益と最善が何であるかを決 定することができるのは国王のみ」。自由主義者は反発。

キルケゴール学生時代のジャーナリズム活動

1835 学生会で講演「わが国のジャーナリズム文学」 1936 匿名および実名で新聞に4本の記事を寄稿 どれもジャーナリズムに関するもので、 後進国デンマークに舶来ものとして輸入されたリベラリズムジャーナリ ズムに疑義をとなえるもの

この時期特に議論の的となっていた言論出版の自由の問題については学生たちも 頻繁に議論を行なった。キルケゴールが参加していた学生クラブで、キルケゴー ルは保守派として論陣を張る。論敵はJ. A. オスターマンであり、キルケゴール に先だって行なわれた彼の講演はコペンハーゲンの評判となり、『祖国』紙に再 掲される大谷愛人に詳しい。

オスターマン講演の主張

30年代からのジャーナリズムの隆盛は低俗な文化を氾濫させた

しかし、それは人々に「読む」だけでなく「書く」ことを意識させると いう功績があった。低俗新聞を読むことはより大いなる善を促進するた めの必要悪。 新聞は、法廷によっては認められにくい大衆の被害を公にし、 権利の回復・再獲得をうながす。 具体的な問題の中で生きる者が、自分の見解を延べることができるよう になることは全体にとって利益になるだろう 個人の思想は、その表現のすみずみにまで浸透しているのであり、 表現の形式を強制することは口輪をはめることに他ならない。 政府も個人と同様間違いを犯すものであり、間違いを指摘することは 有益である。 現状で人々は正直さと開放性を失なっており、それはジャーナリズムを 通して獲得されるべきである。 ジャーナリズムにおける政府要人等の個人攻撃の対象は、個人というよ りはむしろ個人の行為である。

オスターマンに対するキルケゴールの反論講演

ジャーナリズム文学はほんの少数の才能ある人々と、それに連なる大部 分の才能のない人々によって作られているにすぎない。

30年代初頭の革命以降の自由化運動(地方議会設立)は、ジャーナリズム によってうながされたものではなく、むしろ政府主導のものであった。 それ以前のジャーナリズムはもっぱら審美的な内容であり、 言論の自由問題は外国の動きの紹介でしかなかった。政府がジャーナリ ズムを刺激したのであり、ジャーナリズムが政府を刺激したのではない。

「進歩」は漸進的であり、飛躍による進歩は自己倒壊する。他の国の進 歩をそのまま持ちこむむことに意味はない。(「フランスの地図をたより にシャラン島を旅行することはできない」) デンマークのジャーナリズムは統一を欠いている。 粗野な言葉にはがまんできない。 証明なくして真実は自分の側にあると思いこんだ人間は、安易に新聞を その表現に使う。虚偽が広まるのを防ぐためには、 匿名の禁止が必要。

キルケゴールの議論はオスターマンによってほとんど無視され、 期待されていた公開討論には発展しない。

キルケゴールの新聞記事投稿

1836、コペンハーゲンポスト紙が言論出版の自由問題について特集連載。キルケ ゴールはvenhavns flyvende Post紙に3回にわたりその批判記事を当初は 匿名で掲載。

CP紙「新聞にもまちがいはある」←CP紙は無用に「激しく」、無責任で あり、改革努力のパローディーでしかない。 レーマンの反論←自由主義運動の指導者レーマンには「真理への愛」が 欠けている。 →レーマンとの水かけ論争に発展。キルケゴールは記事に署名。

コルサー(Corsaren)事件1845-6

発端

1842年にはじまるキルケゴールの著作活動は、コペンハーゲンの知識人に好意的 に迎えられる。

1845年12月も終りごろ、『ゲア』と題する「美学年報」がP. L. メラーの編集 で出版されたが、そこにメラーは「ソレー訪問」という論文を発表し、 そのなかでキルケゴールの『人生航路の諸段階』の第3部「責めありや---なしや」 を取りあげて、酷評を加えた。かつて学生時代の友であったメラーが、批評の あいしょう となる書物をろくろく読みもしないで無責任きわまる軽率な批評を 加えたばかりか、書評という口実のもとに、「花嫁を拷問台に載せて実験し、 生きた肉体を解剖し、彼女の魂を小きざみに苦しめた」などと、人身攻撃をして いる卑劣な態度に、キルケゴールは憤概せずにはいられなかった。 桝田啓三郎「キルケゴールの生涯と著作活動」、中公世界の名著『キルケゴール』

学友P. L. メラーが『ゲア』に載せた匿名文学批評に怒ったSKは、 メラーが低俗な新聞コルサールの黒幕であると暴露 メラーは大学教授となる希望を失なう(←Perkinsに よる再検討あり) メラーは報復としてキェルケゴールに対する人身攻撃を『コルサー』 で開始、SKは市民の嘲笑の的となる SKは1本反論を書くが沈黙。呪詛に満ちた大量の覚書を残す。

メラーの批評

キルケゴールにはたいへんな哲学的・文学的才能があるが、『人生航路 の諸段階』は失敗作 著者の倫理観・宗教観が、文学的喜びを阻害している。 雑多でまとまりがなく、統一に欠ける。大部すぎて読めない。 メランコリックな人格批判、性的な欠陥のほのめかし? 執筆態度への疑問 「もしここで普通の常識が邪魔することを許されるならば、それはほんとうに 直接にこう言うだろう。もし君が人生を解剖実験室とみなし、自分を死体だと 思っているのなら、先に進みたまえ。好きなように自分をずたずたに切り裂き たまえ。君が誰も傷つけないのなら、警察も君の活動を邪魔することはなかろ う。しかし、他の生き物を君の蜘蛛の巣に捕えて、それを生きたまま解剖した り、実験によってジワジワとその魂を苦しめるなどということは、虫以外には 許されない。こんなことを考えるだけで、健康な人間の心には恐ろしくぞっと することではないかね。」

なにごとも反省されるべきだという著者の主張は抽象的で現実から乖離している。

キルケゴールの反応

キルケゴールは即座に『祖国』紙に反論を掲載(12月27日) メラーはHauschの名前を出すことによって権威にたよろうとしている(事 実誤認) 弁証法的難解さは意図されたもの。読者は1人で十分。 メラーとイエロープレス『コルサー』の関係の暴露 「どうか早く私も『コルサー』に取りあげてもらいたい。あわれなひとりの作 家(われわれ偽名著者が一人であると仮定してのことだが)にとって、自分が、 そこで虐待されない唯一の作家としてデンマーク文学界でのけものにされるの は、ほんとうにつらいことだ。間違っていなければ、わたしの上司製本屋ヒラ リウスはかつて『コルサー』でお世辞を言われたことがある。ヴィクトル・エ レミタは『コルサー』で不滅のものとされる不名誉を得た。しかし、私はすで にすでにそこに載せられているのだ。というのは、聖霊のあるところには教会 があり、P. L. メラーのいるところには『コルサー』があるからだ。

コルサーによる攻撃

コルサー紙の本当の所有者・編集者ゴールシュミットによるキルケゴー ルに対する人身攻撃。戯画化。 市民による嘲笑。 キルケゴールの知人による援護なし。瑣末なことととらえられる。 キルケゴールはほとぼりがさめるまでベルリン旅行。

キルケゴールの感想

「死刑にされるのとガチョウの群に踏まれるのとどちらがよいか?」 「現代の殉教者は、新聞によって迫害の印を押され虐待される」

コルサー事件を我々の目から見ると イエロージャーナリズムの最初期の儀牲者 彼自身のそれ以前の匿名による活動とメラー攻撃は正当化だったか? キェルケゴールの事実誤認(メラーとコルサーの同一視、ゴールシュミッ トの仲介の拒絶)、誹謗、皮肉、あてこすり。過剰反応の疑い。

『文学批評』1846

コルサー事件のさなかに書かれた文学批評。第二部(邦訳『現代の批判』)は大衆 社会とメディアに対する反省が展開される。

「現今は本質的に、分別のある、反省的な、無情熱な、軽薄に感激で燃え上り そして如才なく無関心の内にくつろぐ時代である。」

水平化 匿名性・無名性 傍観と反省過多 無関心

水平化(Nivelleringen)

「近代は根本において久しく多くの変動を通じて平坦化へ傾いて来た」 大衆は妬みによって、優れた者を窒息させ妨害する 「どんな個別の者も平坦化の抽象を止めることはできない」

「公衆」といういう怪物とその召使いジャーナリズム

「新聞の抽象化は時代の情熱の無さおよび反省化と結び合って、抽象の幻影で ある公衆Publikum---これが実際に平坦化するものである---を引き起こす」

「利害を越えたdisinterested」考察批判

ハーバーマスは、19世紀に権力の外部に政治的議論の場が生じたことを称揚。「公共圏」(マスコミ、ミニコミ、コーヒーショップ、キャビネ、サロン) 啓蒙思想家たちにとって、公共圏は理性的で、私的関心を離れた (disinterested)議論を行ない、政府にはたらきかけるきっかをなす場 であった。 自由な言論は自由な社会の象徴。

しかしキェルケゴールはそのような私的関心を離れた議論を軽蔑。 行為しなくても意見を持つことが可能になる。 「参加者は抜け目なく自らを一群の観客に変える」 →無限の反省。考えているだけで行動しない

平坦化が実際にできあがるためには、まず一つの幻影が呼び出されねばならな い、つまりそれは平坦化の霊、巨大な抽象、すべてのものを包括しうるなにも のかであってしかも無であるもの、蜃気楼---この幻影は公衆である。

公衆は一つの国民ではなく、一つの世代ではなく、一つの同時代人ではなく、 ひとつの教区ではなく、一つの共同体ではなく、ひとつの特別な人達ではない、 なぜなら、すべてそのようなものは具体性によってのみそれがあるところのも のなのだから。実際、公衆に属する者達の唯一人の者もなんらかの本質的な 関わりというものを持っていない。

→最初期の大衆社会批判・市民運動批判

匿名性・無名性

「ここに、非個人性の第一原動力となる二つのおそるべき災厄がある。それは、 新聞と匿名性だ」JP,2,480。

「誰でもない人間が、責任を考えることなく誤謬を流通させることができると は、恐しいことだ。」 →匿名での行動発現を容認する現代社会を批判

「匿名性は現今において、ひとが恐らく考えているよりもずっと意味深長な異 議をもっている・・・人は匿名で書くのみならず、人は名前を書名して匿名で 書く、否、人は匿名で語る。・・・現今人は実際に人々と話すことができる、 しかも人の言わざるを得ないことは、彼らの言表は極めて分別があるのに、対 話は人が匿名と語っているかのような印象を与えるのである。」

マニュアル化・真の知識の軽視

「ドイツでは恋人達のための手引書すらある、それゆえしまいには愛するカッ プルは座っておたがいに匿名で語ることになる。あらゆることに人は手引書を 持ち、そして一般に教育はやがて、そのような手引書の持っている観察の多少 ともの概要を完全にものにしていることに存するようになる、そして人はあた かも植字工が活字をとりだすように、個々の事柄をとりだす熟練に比例してすぐれているとういことになる。」

→「情報化社会」批判

沈黙の必要

「一人の著作家はもちろん他の著作家と同じように彼の私的な人格性を持たね ばならないが、しかしこれは彼の至聖所であるべきだからである、そして十文 字に交叉した銃を持った二人の兵士を起くことによって家への入場を拒む如く、 それと同じように理念性の同等性は、質的な反対の弁証法的十文字によって、 どんな侵入をも不可能にする遮断物をなしている。」

キェルケゴールの偽名著作活動における公開性と隠れ

このようなコルサー体験と『文学批評』での見解は、キェルケゴールの思索を先 鋭化させ、『死に至る病』で展開される倫理観の基盤をなす。著作史をたどって みる。

『あれかこれか』1843でのヴィルヘルム判事の公開性の要求

『あれか=これか』では、美的人生観と倫理的人生観が対比される。

審美家Aの人生観「詩人とは何? 深い苦悩を心に秘め、その唇は溜め息や悲鳴が 溢れ出る時、美しい音楽のように響く、そのような、不幸な人間である。」

公開性は倫理学のカテゴリー。秘密と隠れを愛する審美家Aに向かって、ヴィルヘルムは自ら明らかになる(開かれる)ことを求める。

「たしかに君はまだ結婚していない。したがって、君は厳密な意味では明らかに なる義務は負っていない。」(SV II, 119)

結婚し家庭を持ち、隠し事をしないことが万人の義務。

美的なものと倫理的なものの違いは、倫理的には明らかになることが万人の義務 であり、これが聖書の死後にはだれもの行いが明らかにされるという記述と調和 する。(SV II, 218)

『恐れとおののき』1843での沈黙

アブラハムのイサク殺しを題材にした『恐れとおののき』では、 アブラハムの行為は反倫理的であるとされる。倫理には公開性が要求される。

倫理的なものは、倫理的なものであるかぎり、普遍的なものであり、普遍的な ものであるかぎり、それはまたあらわなものである。個別者は、直接的に感覚 的・心霊的なものとして規定されると、隠されたもんである。そこで、その隠 れた状態から抜け出して、普遍的なものにおいてあらわになることが、個別者 の倫理的課題となる。だから、彼が隠れたままでいようとするならば、そのた びに彼は罪を犯し、誘惑におちいっているのであり、みずからをあらわにする ことによってのみ、彼は誘惑から抜け出すことができるのである。

「問題III」で、沈黙を守る人々は倫理的に非とされねばならないという結論。しかし、 倫理学が顕現を要求するその厳しさにもかかわらず、ひとりの人間を偉大なら しめるものは、じつは秘密と沈黙であることは否定できない。つまり、秘密と 沈黙とは内面性の規定だからである。

アブラハムは沈黙を守る---しかし、彼は語ることができないのである。 この点に苦悩と不安がある、すなわち、わたしが、語ることによって、 わたしをひとに理解させることができないとき、たとえわたしが明けて も暮れても間断なく語ったにしても、わたしは語っているのではない、 これがアブラハムの場合なのである」

コルサー事件以前のキェルケゴールの沈黙観

基本的に秘密・沈黙は反倫理的 キェルケゴールは倫理的であることは公開的である という前提を一応は承認していた。 しかし、内面性こそが重要であるというキェルケゴールの実感と洞察と、 彼の偏狭な「倫理的なもの」の公開性の要求はしばしば矛盾し、 これが前期著作の緊張を中枢を構成している。 コルサー事件でキェルケゴールは上の引用のアブラハムと同じ 立場に置かれたことを意識した。たとえ正当に語ったとしても、 大衆には理解されえない。ならば公開性になんの意味があるか?

『死に至る病』1849での沈黙

「絶望」の分析。

単独者を単独者たらしめる直前段階としての沈黙 (永遠なものにたいする絶望)

(自己自身に絶望した自己について)そのような自己は、現実のうちには 存在せず、現実から逃れて、荒野か、修道院か、精神病院かに逃避してしまって いるのではないだろうか。彼は、他の人と同様に衣服をまとい、あるいは、他 の人と同様に普通のコートを着た、現実の人間ではないのだろうか。勿論そう である。・・・ければども、彼は自己に関しては誰にも、たった一人の人にも 心を開かない。彼はそうすることに何の欲求も感じない、あるいは、彼はそう いう欲求を抑制することを学んだのである。(287)

彼は再三孤独への欲求を感じる。それは彼にって、時には呼吸するのと同じく、 又別の時には睡眠と同様に、生活に必要不可欠なものなのである。・・・概し て、孤独への欲求は、人間の内に精神が存在するということの徴であり、又い かなる精神が存在するかということの尺度なのである。

「ただ無駄口ばかりたたいているのっぺらぼうの人間や群れ人間」は、孤独への欲 求を感じるどころか、まるで群居性の鳥ででもあるかのように、ほんの一瞬で も一人でいなければななくなると、ただちに死んでしまうのである。(288)

「閉じこもり」を通りすぎた上での透明性

絶望が全く根絶された自己の状態を描く定式は、それゆえ次のようである。すな わち、自己自身に関係し、自己自身であろうと欲することにおいて、自己は自 己を措定力の内に、透明に基礎を置いている。(221)

内省、自己選択、自己創造、人格性、アイデンティティ 群衆から距離を取る必要 内面に沈潜し、「閉じこもり」と「反抗」を経験したのちにしか 個人は単独者たりえない。 前期著作での緊張を保持したまま、整合的な世界観・倫理観を とることが可能となった。

キェルケゴールに欠けていたもの

歴史感覚・政治感覚?

『現代の批判』は1849の「革命」を予見することさえできなかった 大衆社会はそれに対応したさまざまな英雄を生んだ 彼の同時代者ミルのリベラリズムは多くの人々に受けいれら れ、多大な成果をもたらした 選民意識、大衆蔑視 リベラルな運動への共感のなさ

もっとも、Muluntschukの仕事以降の多くの研究者によって、キェルケゴールが 政治に強い関心をもっていたことは明らかになっている。キルケゴールの学生時 代からの著作活動を見るならば、むしろ彼は社会批評家であったとさえ言える。

親密な人間関係に対する感覚

むしろ、問題は生身の人間への共感のなさにあったのではないか。これは彼の 「公開」かさもなくば「秘密」か、という内面性にかかわる二元論となんらかの 関係あるはず。

人間関係での親密さを維持するための秘密・プライバシー

「愛や友情は、プライベートな情報を共有しているという親密さがなければな りたたない」(C.フリード)

「我々はどんな情報を与えるかによってさまざまな対人関係を使いわけている」(J.レイチェルス) このような観点をキェルケゴールが持っていたら?

暫定的結論

コルサー事件がなければ、彼の『死に至る病』での内面性論は深みに乏 しいものになり、また一般うけする魅力と説得力を失なったであろう キェルケゴールは現代的なメディア観・プライバシー観の先駆者 彼のメディア批判・大衆社会批判は、最初期のものにもかかわらず いまだに有効 キェルケゴールの内面的個人観は説得力があり、われわれはその影響 下に生きている 特に、彼の「沈黙」論から導きだせる内面性・プライバシー観は現代の 我々にとっても有益のはず しかし、彼の議論には一定の限界があることも明らか。そろそろ我々は キェルケゴールの限界づけに挑戦しなければならない。何を言ったか だけでなく、何を言わなかったか、彼が誰だったかだけでなく彼は誰 でなかったのか →偶像としてのキェルケゴールの見直しの必要

年表

年 SK年齢 1836 (23歳) 新聞に匿名で初寄稿 1841 (28歳) レギーネとの婚約を破棄 1842 (29歳 『これか・あれか』 1843 (30歳)『恐れとおののき』・『反復』 1844 (31歳)『断片』『不安の概念』 1845 (32歳 『人生航路の諸段階』、コルサー事件 ( -1846) 1846 (33歳)『文学批評』 1849 (36歳)『死に至る病』/ 王政政府の廃止・自由憲法 1854 (41歳) 教会攻撃開始 1854 (42歳) 逝去


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Last-modified: 2015-02-01 (日) 14:38:23 (932d)