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戦場のRSS-Blog時代の戦場のあり方-

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殻機動隊特集

しばらく前に、ユリイカで攻殻機動隊の特集を読んだ。その中で、神山さんと東浩紀が対談していた。その中で、2030年の戦場をどのように描くかと言う話をしていてそれが面白かった。東の「戦場と後方との間に時空の差があるから、戦場からの手紙は文学になる。」という指摘は面白かった。彼は続けて、「戦場からのメールでは、文学にならない」といった。たぶんに日常(平時)と戦場(非常時)のコントラストが、何らかの美学になるのだろうと言う話だと思った。

その中で、書けるとしたらこんな筋書きになるのではないか。

戦場からのRSS

ある男が、前線に派兵された。仮にAと呼ぼう。彼は、彼は、RSSリーダーでBlogを見ることが好きだった。特に、Bと言うBlogを楽しみにしていた。RSSリーダーがBの新着のエントリーを知らせるたびに、彼は、そのエントリーに共感したり、爆笑したりしていた。
AはBの作者について詳しいことはわからなかったが、彼もまた戦争に巻き込まれているようだった。その証拠に、Bのエントリーも、戦争についての内容が多くなったからだ。
ある日のエントリーで、Aのいる前線近くの地名が出てきた。
Aは、Bの作者がよく、こんな地名を知っているな、博識だなと感心した。

ある日、Aの部隊がはじめて、戦争に巻き込まれた。
Aも初めて、人を殺した。Aが銃の引き金をひいた瞬間、敵国の兵士がゆっくり崩れ落ちるのを彼はその目で見た。
おかしなことに、その日を境に、Bのblogの更新はぱったりと止まった。Aは唯一の楽しみを奪われて、ふさぎこんでいた。

一ヶ月ほどたったある日、bのblogが更新されたとRSSリーダーが通知してきた。
Aは久しぶりに更新されたBの内容を、楽しみにしながら、そのエントリーを読んだ。
そのエントリーは、bの作者の母親によって書かれていた。
その内容は、彼が、Aの赴任された地で、戦死したこと。そして、彼女は、もうblogを更新できない旨をわびた。

みたいな内容。
AがBの作者を殺したのかも知れないが、そのことは、Aは分りえない。ただ、BのBlogの更新がその日から止まるという状況証拠だけが、残る。

国家へのシンパシー、Bloggerへのシンパシー

戦争をするためには、自国が正しくで、敵国が悪であると信じたほうが、戦いやすい。兵士にとっても、敵国の人間が、妻も子供もいるよりも、なんだか知らない悪人のほうが、戦いやすい。
だから、敵国のBloggerの書くことが面白かったら、兵士としてはイヤだろうな。
2030年になっても、国家がなくなることは無いだろうけど、誰にシンパシーを抱くかを、国家が管理することは相当難しいだろう。


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Last-modified: 2015-02-01 (日) 14:38:24 (3542d)