column

いまわの言葉を伝えるメディア

携帯電話が伝える今際の言葉

私のページにたどり着く検索語で一番多いのが、「グモチュイーーン」である。その言葉は、「電車にひかれた人」を表す。2chによれば、この言葉の起源は、電車版の「人身事故の話」スレッドのようだ。

489 名前:名無し野電車区 投稿日:02/08/06 12:07 ID:shgn8v1b 携帯で話してた相手の人は悲惨だな。 轢かれた瞬間どんな 音が伝わってきたんだろ 490 名前:名無し野電車区 投稿日:02/08/06 12:45 ID:OuAW+sAR489 「あっ、もしもし?あたしー。今ねー・・」 ギギギギギャイーーーンギャリギャリギャリンッ ドカシッゴボッグガガガガガガボガボ ガココココ ココバキバキバキャキャキャ ガコッガコッガコッガコッグゴゴゴゴゴ グモッチュイーーンボゴゴゴゴゴ プチッ ツー、ツー、ツー、ツー、ツー

とこの描写から2chでは、電車に飛び込んだ人をグモと呼ぶことがある。。この話が実話であるかは分からない。けれども、携帯電話に熱中していて電車にひかれた例はある。

5日午後10時45分ごろ、愛知県扶桑町高雄の名鉄犬山線木津用水駅北側の踏切(遮断機 警報機付)で、若い女性が、新岐阜発常滑行き上り急行電車にはねられ死亡した。  犬山署の調べによると、女性は携帯電話をかけながら、下り電車が通過した直後に、遮断機 をくぐって踏切内に入ったという。女性は20歳代とみられ、同署で身元を調べている。電車は現場に約25分間停車した。乗客にけがはなかった。

と言う事件があった。また、次の様な事件もあった。

水死>携帯使い運転中川に転落 岐阜でスーパー従業員 2003年26日午後6時ごろ、岐阜県海津町平原の大江川の堤防道路から、愛知県一宮市 Aさん(27)の乗用車が川に転落した。携帯電話で会話中だった知人の岐阜県南濃町の女性(19)が通報、 海津署員らが捜索し、27日午前8時20分ごろ、水深約2メートルの川底に沈んだ車を発見、車内からAさんが水死して いるのが見つかった。 調べでは、Aさんは事故当時、女性と携帯電話で話しており、突然「川に落ちた」と叫んで通話が切れ、しばらくして「窓 が開かない。助けて」と再び電話がかかったが、すぐに切れた。Aさんは海津町の店から同県平田町の客に商品を配達 中で、携帯電話をかけながら走行していて運転を誤ったらしい。 【斐喜雄】(毎日新聞)[2003年1月27日16時7分更新

という事件があった。いずれの例も、携帯電話で通話中に事故にあっている。私は、携帯電話による不注意に注目しているのではない。むしろ注目しているのは、事故による「いまわの言葉」を通話中の他者が聞く可能性だ。ちなみに、水死の例は、2chでこのような書き込みがあった。

これから夜な夜な、その男から電話がかかって来るんだろうな。 「なぁ、寒いよ。助けてくれよ。。」

想像すると結構怖い状況である。私たちは、もちろん、あの世から死者が電話をかけてくることが、単なる怪談であることは知っている。けれども、携帯電話によって死者と交信できると言うビジョンは何となく恐怖をかき立てる力を持っている。

メディアと怪談

言うまでもなくメディアの語源は、霊媒を表すメディウムの複数形である。メディアは、その発生当初から何らかの霊的な雰囲気を醸し出していたのかも知れない。 水越伸によれば、日本に電話が設置された当時、電話線を設置した電柱には処女の生き血が塗られていると言う噂があったらしい。つまり、電話というメディアが普及期においてなんだか薄気味の悪いものだとして捉えられていたようである。しかし、電話は家庭に一台、据え置きが基本である。携帯電話は、まさに個人が肌身離さず持つという意味で極めてパーソナルなメディアなのだ。そしてそれが故に、携帯電話はメディウム(霊媒)というメディア本来の意味に立ち返ることになる。

極めてパーソナルな機械

携帯電話は、個人が肌身離さず持ち歩く初めての通信メディアだろう。それは、私たちが親しい友人の「今際の言葉」を聞く可能性を飛躍的に増大させる。もし貴方の友人が、どこかで事故にあったとき貴方は友人からお別れの言葉を聞いてしまうかも知れない。 例えばこんな風に、

貴方「プルルルルル・・・・、ガチャ もしもし?」
友人「あっ、私」
貴方「ああ、A子」
友人「うん、そう」
貴方「どうしんたん?」
友人「今までありがとな… プチッ」
貴方「A子、A子、もしもし?もしもし?」

ってな具合だ。 わざわざ挨拶してくれる友人に、ありがたいようなちょっと嫌なような微妙な感情がわいてしまう。死の淵にある彼女は、貴方に感謝のメッセージを託そうとしたのだ。

今まで、家族や友人に看取られて死ぬ(例えば病死など)以外の死に方(例えば事故死)では、今際の言葉を聞くことは不可能だった。今では技術的に可能だ。そして、言いたいことがあるのは、むしろ事故死の方だ。病死の場合、死は徐々に訪れる。親しい人たちにあらかじめ、感謝の意を伝えられる。しかし、事故死においては、感謝の言葉を伝えることすらままならない。親族が駆けつけて来たときには、もはや意識不明、重体であることもあるだろう。その際、携帯電話は、今際の言葉を伝える重要な道具になるだろう。

とはいえ、死期を悟って関係各所に電したのは良いけれど、うっかり回復などしてしまったらそれはそれで、バツの悪い空気が流れてしまうのだろう。特に、今まで秘密にしていた衝撃の真実を告白してしまったりしたら、文字通り「恥ずかしくて死んでしまい」と言う気になるかも知れない。


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Last-modified: 2015-02-01 (日) 14:38:24 (3542d)