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ストーカーの心理について 文学部哲学科 芝尾幸一郎

 本論は、ストーカーを、一つの切り口として、異常なまでに他者の承認を求める人間の心理を読み解く試みを行うものである。

 ストーカーとは、元々、忍び寄る人の略で、自分の思いに任せて、執拗に相手に迫り、ついにその相手に危害を加える場合もある人のことである。アメリカでは、1989年、女優のレベッカ・サッファーの殺人事件と、テレビショウの名ホストであるデビット・レターメンに対するファンの持続的な嫌がらせによって、ストーカーという耳慣れない言葉が、注目されるようになった。日本においても、昨年、同様な事件が起き、ストーカーという言葉が注目されるようになった。  さて、ストーカーにあった場合、よく言われることは、はっきりと拒絶の意思を表すことだとよく言われる。私の考えでは、その行為が更にストーカーを追いつめる要因になるのではないかと思っている。  ここで、ストーカーの心理を調べる前にストーカーとは直接関係がないが、その世界の認識の仕方において、ストーカーを読み解く鍵になると思われる例について考察してみたい。  金塚貞文は、その著書「オナニスムの秩序」(1982)の中で心因性不能症の患者について面白い考察を行っている。    心因性不能者とは、自慰は行えるのに、心因性により、性交が行えない人のことを言う。金塚の例によれば、妻がいながらその妻とは性交が行えず性生活が、自慰により成り立っているタクシードライバーの例が紹介されている。  金塚の言によれば、自慰とは単なる生理現象ではなく、自分自身の身体による他者の身体の呼び求めという実在的行為であるとされる。一般化すれば、自分自身の身体が他者のそれへと根源的に開かれたものである以上、性的行為一般にあって他者の実在、不在には本質的な際はあり得ないと言うことになる。  しかし、先のタクシードライバーの例にあるように、空想上の他者とは、自慰を通して性交が行えるのに、実在の他者とは性交が行えない場合があるのはどうしてであるかという点について、金塚は、一つの答えを示している。  実在の他者にしても、空想上の他者にしても、性交を行う他者は、自らと性的世界を共有しうる性的他者であるという。そして、自慰と性交とは、そればめざす他者に違いがあるのではなく、性的他者という同じ目標に至るまでの二つの違った道のりにすぎないと言うことである。しかし、実在の他者も空想上の他者も、性的他者として体験されるのだけれど、自慰の上の性的他者は、性が先行して他者が成立し、他者が性的他者以外の何者にも成らないけれど、性交の行われる他者は、他者が性の前に成立しており、常に他者が性的他者として成立するわけではない。この違いにより、心因性の他者が成立するとまとめている。

 私が、この論文において注目したことは、左記の例にでた、タクシードライバーの例である。何故彼は、心因性不能症に陥ったか?逆に言えば、何故普通の人は、拒絶されることを恐れずにすむのか?普通の人は、基本的には他者に対するある信頼感を抱いているのだが、タクシードライバーには、その基本的な信頼感がなく実在の他者が性的他者になることを常に拒否するのではないかと恐れている。エリスソンの言う「基本的信頼感」の「基底欠損」の状態ではないだろうか?  我々は、経験の中で他者が自分の思い通りにならないことを知っている。それでも、私たちは、他者との間で、カードゲームを、行うかのように交渉を行っている。例えば、YES・NO・無関心などのカードを互いに見せあうようなものである。 しかし、そのタクシードライバーの精神の中では、そのような交渉は行われていない。彼は、自分が常に何を出そうと相手は、自分にNOのカードをだしてくるに違いないと考えている。他者が、どんなにYESのカードを出していても、本当は、NOのカードを出したいのではないかを、勝手に推論を始めてしまう。ついに、世界は自分に対して、NOのカードしか示さないと思うようになる。  この例と同じ世界認識に立つのがストーカーの心理である。彼の心理は、この様にささやく、「世界は、私に対してNOのカードしか示さない。」そして、彼に、世界が、常に自分を拒否するという認識に至る。彼は、世界が自分の行動にREACTして、自分にYES・NO・無関心などのカードを示しているとは、思わない。  ここで、一つ注意すべき点は、彼は、世界を憎悪しているというわけではない。彼の中にあるのは、常に拒否されると言う恐怖心だけである。

 さて、それでは彼にとって常にNOのカードを示さない絶対的にYESという人物を捜してみたい。一人、思い当たる節がある。すなわちそれは、彼の母親の役割を担う人である。その人は、彼(ストーカー)の現実の母親を指しているのではない。あくまで、彼が常にYESのカードを出すであろうと想定した人間を母親と考えることにする。  つまり、ストーカーは、恋愛対象として、人を追っかけているのではなく、代理母としてその人間を追っかけているとしたら、その行動や心理がそれほど、不可解ではなくなってくるのではないだろうか。(ただ、日本において恋愛対象と依存対象はそれほど離れているようには見えないのだが、)   ストーカーの人を見分ける特徴として、自分史的なことや、日記的なことがらを喋りたがるとあるジャーナリストは言っていたが、それが恋人ではなく母親に発せられた言葉だとしたら、納得できるのではないか。「ねぇ、ねぇ、お母さん、聞いて、聞いて」(幼児期に、幼児が母親に向かって、日記的なことを喋るのは良く見かけられることである。) ストーカーに付け狙われるのは、何も女性には限らないわけだがその点についてはウイニコットによれば男女ともに母親的役割を果たすことが、知られている。  またストーカーとして男性が女性を付け狙う事例の方が多いので両親と言うよりは、母親の概念の方がしっくり行くのではないかと考える。  また、母親ならば、年下の人間が狙われる事例は発生しないと言う反論はあるだろうが、役割としての母親は幼稚園児でも演じられるためあえて現実の年齢差にこだわることはないのではないかと考えられる。(私は、ロリコンとは母親を希求する欲求ではないかと考えるが、そのことは、ここでは言及しない。)  何故、ストーカーが「世界は常にNOのカードを示す」と考えるようになったかについては、阿世賀浩一郎(1994)によれば、再接近期による傷害と考えているが、(もっとも彼の場合、ストーカーについてではなくオタクについて考察しているが)私は、再接近期にのみ着目するのは異論があるが幼児期に何らかの原因があるのは確かである。  普通の人ストーカーとの幼児期の違いは何か。それは普通の人が成長期に確立しうる健全な自己愛がストーカーには成立していないと言うことだ。それでは健全な自己愛の成立について考えてみよう。よく神話などに現れる少年が暗い洞窟の中に入って魔物を殺し再び洞窟からでてくると言うモチーフがある。一般には、この過程を通じて少年の中で母親が殺されるとされている。しかし、私母親の機能が少年に取り込まれるのではないかと考えている。それによっていままで外の世界に存在していた母親(常にYESのカードを示してくれる他者)を必ずしも必要としなくなる。それが健全な自己愛の成立であると考える。すなわち健全な自己愛とは母親を自分の中に取り込む作業を言うのである。  変わってストーカーは健全な自己愛が成立していない。それで外部に母親の役目を必要とする。  ストーカーの中には、世間に認められた人もいるため、その人間が「世界は常に私にNOのカードを突きつける」と思っているとは思われないかもしれないが、その地位のあるストーカーにとっては、私はその地位にいるのでYESと言ってもらっているにすぎないと考えている。つまり、「私という存在そのものについてはYESと言ってもらっていない。」と考えている。  それではなせストーカーは初めてあった見ず知らずの人間やブラウン管の中のアイドルを自分の代理母だと思うのか。それはある一種の嗅覚のようなものだといえる。オタクが町中であった人間の中から瞬時に同じ仲間を見つけるようにストーカーは瞬時にその人間を母親だと考える。被害者の雰囲気やわずかな仕草でもってストーカーは瞬時にその人間を母親だと見抜く。

 さて、ここで前出のストーカーに対しては、断固としてNOと言うべきであるという考えを検証してみたい。もし、ストーカーが、世界がNOと言う中で、唯一YESと言ってくれそうな人物を見つけてその人物に近づいたと考えたら、ストーカーにNOと言う行為はかえってストーカーを刺激する結果に終わるのではないだろうか?  よくストーカーに対してはっきり拒絶しないと拒絶したことがわからないと言われるが、それは本当だとは思えない。彼らは、拒絶に対して、遙かに敏感に反応し、そのことが、見えていながら見えていない様な振りをする。なぜなら、そのお母さん役の人に捨てられたら、本当に世界は自分に対してNOとしか言わない存在になってしまうからだ。 「私には、恋人がいますから」と拒絶すれば「では、その恋人がいなければ私とつき合ってくれるのですね」と言う返事は、拒絶されたことがわかっていながら、他方でそれを信じまいとする行為に他ならない。  この様な状況下で拒絶を続ければ、やがて、ストーカーは、「世界は私に対してNOのカードしか示さないと感じていたけれど、本当に親の貴方でさえ私のNOのカードを差し出すのか?」と考え出す。ストーカーにとって最後の庇護してくれる存在であった母親との決別はこうして始まり、殺人事件を含む不幸な終末を迎える。

 実は、この過程で被害者が恐怖のあまり発したNOの連発が、ストーカーを心理的に追いつめ、結果として、被害者をも追いつめるという相互加虐とも言える状況が発生する。その、心理状態を見てみるとストーカー・被害者ともに相手に対する憎悪よりも恐怖の感情が優先されている。一方が拒絶の恐怖、また一方は追いつめられる恐怖である。

 それでは問題解決の手段とは何だろうか?一つは警察とそれに連動した心理カウンセラーの素早い介入。これはストーカーの頻発するアメリカで主に言われる処置法である。私もこの方法は有効であると考える。ただストーカー事件においてはストーカーを単純に刑務所に入れてとしても実際には事件は解決しない。ストーカーは被害者からストーカー自身の中に母性を移し替えなければならない。これは心理カウンセラーを通じてスムーズに行わなければならない。そのために場合によっては被害者の協力も得なければならないかもしれない。なぜならストーカーにとって信頼に足る人物は被害者以外いないからだ。いきなり心理カウンセラーがストーカーと信頼関係を結ぼうとしても失敗に終わるのはこのためである。もちろんこの行為自体が被害者にとって心理的に負担になるのは目に見えているのでそれに先だって被害者自体に心のケアが行われねばならない。一般感情としてこの方法があまりにストーカー主体で考えられているという批判はもっともである。ただ、ストーカーを被害者と隔離することに成功したとしても、ストーカーが次の被害者を捜し出すのは十分予測できるし、現にアメリカではそのような例が起きている。また、心理カウンセラーだけではどうしてもストーカーの心を開かせることが出来ないにが現状なのだ。被害者の心理は当然最大限考慮しなければないのだけれど、それと同時にストーカーの心のケアが実施できなければストーカーの犯罪は決してなくならないのである。

参考文献 松江署ホームページ ストーカーについて http://www.web-sanin.co.jp/gov/police/index.htm

阿世賀浩一郎 ちーちゃんの部屋  二つの母性の相克 「セーラームーン」についての精神分析的対象関係論に基づく考察 日本人間性心理学会第13回大会個人発表(1994) http://homepage3.nifty.com/asega/sailor-index.htm

金塚貞文「オナニスムの秩序」(1982)


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Last-modified: 2015-02-01 (日) 14:38:23 (994d)