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最近このページにはまっている。

「ネットサイエンスインタビューメール」
http://www.moriyama.com/netscience/
日本の一線の科学者にインタビューしているメールマガジン(バックナンバーも読める。しかも無料で。)インタビューされた人は、地学屋さんから物理屋さん、生物屋さん迄幅広い。
彼らの発見したことが何であり、今どの様な事に関心を持っているのかを著者の森山はかなり親切に書いてくれている。

第一回目の金子さんの回で歴史観・文明観にふれている文章のいっせつにこの様な記述がある。

「(森山)
先生はエッセイの中で、高校生の時に歴史の偶然性と必然性についてレポートを書いたことがあるとお書きになってますね。個々人の動きは予測不能だけれども集団としては予測できる、そして時には、個々人の偶然の動きが大きな歴史の流れを変えることもある、というようなものだったそうですが、まるで、アイザック・アシモフのSF「ファウンデーション」シリーズに出てくる<心理歴史学>のようですね。
(金子)
(笑)。 」

この文章を読んだとき、私は嬉しくなった。何というか、この文章の最初の方を読んで私も「ファウンデーション」の話を思い出したからだ。理系とかSFの人に共通の言語が伝わったような気がした。

科学者には、独特のパラノイヤチックな所があって、例えば、時計があれば分解してみなければ気が済まないとか、なんか壊れたら分解してみると言った欲求の様な物を感じる。パソコンの自作とかしちゃう人に通じる。そこに経済的な利益が絶対にないことを分かっていながらお金かけちゃう精神構造がそこにある。

私はそういう人たちを横目で見ながら微笑ましくなることが多い。

それは彼らの業みたいな物なのだ。

イギリスでクローン羊「ドリー」が生まれたときに、私はもうすぐ人間のクローンが生まれるなって漠然と思った。各国政府は急いでこの技術の人間への応用を禁止したけど、科学者はやっちゃうだろうなって思う。それが科学者だから。
悪用されそうな技術が出来たときに悪い独裁者が科学者に命じて恐ろしい物を作るみたいなイメージを持つかも知れないけど、そのイメージは間違いで科学者って誰にも強制されなくても喜んでやるだろう。その事の善し悪しは私たちが押っ取り刀で考えるのだろうな。

良く科学者の道徳的な責任を云々しちゃうけど、なんか私はその議論になじめなくて、彼らはそんなことは考えないだろうなって思ってしまう。

やっぱり自分で仮説たててそれが実験で確かめられたりすると快楽なのだろうな。その興奮はちょっと分かる気がする。

物理学科の知り合いが、オウムの村井さんが「カモメのジョナンサン」を読んでみたいな話を感動しながら話してくれたとき、奇妙に彼らの存在とだぶってしまった。

第二回目の丸山さんとか結構とんでもないことを言っているのだけど、私は面白かった。(人間は氷河期を迎えても困らないように死に対する哲学を再構成すべきだって言う主張)

多分、私はマッドサイエンティストって言う人たちが好きなのだろう。
この楽しさを広めたくてこの文章を書いては見たけど果たして伝わるのかな?

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