[[column]]
-孤独「一人で生きられる能力」
アンソニー・ストー創元社
2001/06/14
この本は、孤独の効用,特に創造的な仕事に対する効用に注目する。
多くの場合、「孤独な人と言う言葉は」誉め言葉ではない。その人は親密な人間関係を結ぶ事が出来なかった人として扱われる。その言葉の背後にはある種の蔑みの感情が見て取れる。
けれど、創造的な行動はそのそも人が一人で静かに自分自身に意識を集中する際に生じる。
内省と言うのはその状態で起きる。本書は多くの作家を引き合いに出してその人たちがそのような生育をしたのかを主に取り上げている。
親密な人間関係が人の一生に幸福を与える事は容易に想像できる。その一方で、静かに自分自身を見つめる事、自分自身に向き合う事も人の人生を想像以上に豊かにする。しかし、その事が肯定的に扱われる事は余りに少ない。
乳幼児には二つの場面を見る事が出来る。一つは母親の胸の中で存分に甘える場面、もう一つは、熱心に世界を見つめ、世界がどのようになっているかを知ろうとする場面(自由にハイハイが出来るようになったこ子供は何にでも興味を示し、そのものが何であろうか知ろうとする、動物には産まれ持ってそのような好奇心がある)、いうなればその二つともが重要だいわれている。そして、乳幼児が世界を散策するとき、母親の存在は忘れ去られる。
イギリスの有名な小児科医・対象関係論者ウィニコットは「はじめは母親のいるところで、次に母親のいないところでひとりでいられる能力は、個人が自分の真の内的感情と接触し、それを表出するという能力とも関わっている。子どもが母親のそばで、その次に母親から離れて、ひとりでいるという満ち足りた心のゆとりを経験したときに初めて、他人が自分に期待しているものや押し付けようとしているものとは無関係に、本当の自分自身が要求するもの、望むものを見つけ出すことができる確信をもつようになる」と言う。これは乳児が自分らしさを獲得するために述べた文であるが、成人にも充分当てはまると思う。世の中には他者と親密な関係を結べない者をあたかも人格に欠陥があるかのように扱う風潮に満ちている。けれども、果たして他者と親密な関係を結べるものが無条件に幸せであるのだろうか?
私は、親密な他者との関係と言う経験と一人でいられる能力を、パズルの例で考えている。パズルを組み立てるには、パズルを構成するためのピースと、パズルを組み立てる作業の二つが必要である。パズルは、どんなにピースが多くても実際に組み立てられなければ永遠に完成しない。ピース(経験)が、意味を持つのは、実際にくみ上げられ整理なければ、経験がただの出来事のままで、同じ失敗を繰り返す危険性がある。
私が言いたいのは、親密な人間関係が、人を幸福に導くのと同様に、孤独もまた人を充分幸せに導くと言う簡単な主張だ。けれどもその主張をするために多くの文を書かねばならないほどに孤独と言う言葉に対する恐怖感は強く、ただ他者と親密な関係を結んだ経験の数のみが重要視される。
ちなみにこの本は県立図書館にあるよ。